中世ギリシャ語 σάρκα(肉、← 古代ギリシャ語 σάρξ「肉」の対格 σάρκα が主格として再形成)が現代まで受け継がれた継承語(κληρονομιά)。古代の不規則な格変化(主格 σάρξ、属格 σαρκός、対格 σάρκα)の中で、対格 σάρκα を主格として固定する活用パラダイムの再編(μετάπλαση)を経て、現代ギリシャ語の σάρκα になった。古代の主格 σάρξ は書きことばに残るのみ。
源にある古代の σάρξ(属格 σαρκός、肉、肉体、生身)は、印欧祖語の「肉、切り身」を表す語根に由来する説と、地中海・前ギリシャ語基層の語とする説がある(Beekes は基層語起源を支持)。古代ギリシャ語の文献では、ホメロス以来「人や動物の体の柔らかい部分、肌、肉付き」を中心義とし、骨(ὀστοῦν)と対置される身体構成要素として用いられた。
新約聖書のギリシャ語では、σάρξ は「肉、肉体」を表すと同時に、ヘブライ語 בָּשָׂר bāśār(肉、人間性、弱さ)の翻訳語として神学的に重い意味を担った。「肉と霊」の対立(σάρξ と πνεῦμα)は、パウロ書簡(特にローマ書 7-8 章、ガラテヤ書 5 章)の中心概念で、人間の物質的・倫理的弱さを指す神学用語として、現代ギリシャ語にもその意味の層が残っている。
ヨーロッパ語の関連語彙としては、ラテン語経由で carō(肉、属格 carnis、← 英 carnal「肉的な」, carnage「殺戮」, carnivore「肉食動物」, incarnation「受肉」)が並走する別系統。ギリシャ語 σάρξ とラテン語 carō は、地中海の身体・宗教語彙として、東西の文脈で並走しつつ、ヨーロッパの神学・解剖学・倫理学の語彙の根幹を成してきた。
派生・関連語族として σαρκικός(肉的な、官能的な、形容詞), σαρκώδης(肉づきのいい、書きことば), σάρκωμα(肉腫、← 医学用語、腫瘍を表す英 sarcoma の語源), σαρκοφάγος(石棺、肉食の、← σάρξ + φάγος「食べる者」, 文字どおり「肉を食らうもの」、英 sarcophagus), σαρκοβόρος(肉食の、書きことば), σαρκασμός(皮肉、嘲笑、← σαρκάζω「歯を見せる、肉を引きむしるように笑う」), σαρκαστικός(皮肉な、← 仏 sarcastique), ένσαρκος(肉体を備えた、書きことば), ασκητής(苦行者、← α-「ない」+ σάρκα「肉」を否定する者、ただし語源は ἀσκέω「鍛える」が正確)。「肉」を介した派生語族は、医学・神学・修辞学・倫理学の語彙にまたがる極めて生産的な系譜を持つ。
意味の領域では、κρέας(食用の肉)が料理・食材寄り、σάρκα は身体の構成要素・宗教的概念寄り、と棲み分けがある。慣用句では με σάρκα και οστά(生身の、本人がじかに、文字どおり「肉と骨で」), σάρκα από τη σάρκα μου(わが身を分けた存在、文字どおり「私の肉から肉」、聖書由来の表現)が頻出する、身体性を強調する表現の宝庫。