イタリア語 spirito(アルコール、スピリッツ、精神、霊、息)からギリシャ語に入った外来借用(δάνειο)。借用の過程で、無強勢の [i] が脱落(συγκοπή)して σπίρτο の形に整えられた。古いイタリア語形 spirto の段階で借用されたとする説もある(Tri 注記)。Tri は意味 2 の「マッチ」に対して伊 spirito との対応を明記する。
源にあるイタリア語 spirito は、ラテン語 spīritus(息、呼吸、霊、精神、← spīrāre「息をする、吹く」)の継承で、本来は「息」「霊魂」を意味した。中世以降、錬金術の文献で「揮発性の物質」「蒸留して得られる強い液体」を spīritus と呼ぶようになり、近代の英語 spirits(蒸留酒、霊魂), フランス語 esprit(精神、機智), ドイツ語 Spiritus(アルコール)といった語の意味展開につながった。「息・霊」が「揮発する液体」「燃えるもの」へと比喩で結びつけられた、地中海・西欧文化に共通の意味展開。
ギリシャ語 σπίρτο の意味の中心は、近代に「マッチ」へと移った。これは、マッチの製造に用いられる可燃性のリン化合物・硫黄が古い時代に「アルコール(スピリッツ)」と呼ばれていたことから、火を点ける小さな棒を「アルコール棒」のように呼んだ用法が定着したもの。同じパターンで英語 match(マッチ), ドイツ語 Streichholz(マッチ棒)も、それぞれ別の経路で「火を点ける道具」の名前を確立した。
源にあるラテン語 spīritus は、印欧祖語の「息、吹く、活気」を表す語根に由来し、英語 spirit, inspire(息を吹き込む), expire(息を吐き出す→死ぬ), respire(呼吸する), perspire(汗をかく), conspire(共に息をする→陰謀を企てる)が同じ語根から派生した、ヨーロッパ語の「息・精神・呼吸」の語彙の根幹。古代ギリシャ語の対応概念は πνεῦμα(息、霊、精神、← πνέω「息をする、吹く」)で、神学・哲学の語彙として並走する系譜を持つ。
派生・関連語族として σπιρτόκουτο(マッチ箱、← σπίρτο + κουτί), σπιρτόξυλο(マッチ棒), σπιρτόζος(機知に富んだ、頭の切れる、← 伊 spiritoso「機知に富んだ」、人物形容詞), σπιρτοζίδικος(小生意気な、機知のある、口語), σπίρτο μοναχό(ずば抜けて頭の切れる人)。
同じ「火・マッチ・着火」の領域には、書きことば寄りの πυρείο(マッチ、火打ち具), 現代の対応道具の αναπτήρας(ライター), 火花の σπίθα(火花、きっかけ、残り火), ろうそくの κερί(ろうそく)が並ぶ。同じ「酒・アルコール」の領域には、上位概念の ποτό(飲み物、酒、飲酒), ワインの κρασί(ワイン), アルコール一般の οινόπνευμα(書きことば、← οἶνος「酒」+ πνεῦμα「息・霊」、文字どおり「酒の霊」、ラテン語 spīritus vini の翻訳), 蒸留酒の τσίπουρο(ツィプロ), ούζο(ウーゾ)が並ぶ。化学の文脈で σπίρτο του άλατος(塩酸、文字どおり「塩のスピリッツ」)が定型表現として残るのは、近代化学の創成期にラテン語 spīritus が「揮発性の液体」「酸」を表していた時代の名残で、当時の錬金術・化学語彙の遺産。
比喩用法では、人を褒めて σπίρτο と言うと「頭の回転が速く要領のいい人」を意味する。火が点くスピード感を機知の鋭さに重ねた口語の比喩で、近い表現に ξεφτέρι(タカ、転じて切れ者), σαΐνι(タカ、切れ者), τσακάλι(ジャッカル、やり手)が並ぶ。