中世ギリシャ語 αίγα(雌のヤギ、ヤギ、← 古代 αἴξ「ヤギ」の対格 αἶγα が主格として固定化されたパラダイム再編 μετάπλαση の結果)が現代まで受け継がれた継承語(κληρονομιά)。古代ギリシャ語 αἴξ は、属格 αἰγός、対格 αἶγα という不規則な格変化を持つ -ξ 語幹名詞だったが、中世期に対格を主格として固定する整理が起こり、現代ギリシャ語の αίγα の形になった。同じパラダイム再編のパターンは σταγόνα(しずく、← σταγών), αλεπού(キツネ、← ἀλώπηξ)と同類。
源にある古代の αἴξ(属格 αἰγός、ヤギ、雌ヤギ)は、印欧祖語の「ヤギ、子ヤギ」を表す語根に由来し、サンスクリット अज ajá-(雄ヤギ), アヴェスタ語 azō-, アルメニア語 այծ ayc(ヤギ)と同族。地中海・印欧語の「ヤギ」を表す最古層の語彙の一つで、古代ギリシャ世界の畜産・神話・宗教の中核的な動物として深く根付いていた。
古代ギリシャ神話では、αἴξ はゼウスの幼少期にゼウスを乳で養った雌ヤギ Αμάλθεια(アマルテイア)の伝承、ディオニュソス祭のヤギの犠牲、ヤギの皮で作られた神具(αιγίς「アイギス、ゼウスの盾、← αἴξ + イデオロギーの結びつき」、英 aegis)など、神話・宗教の中核に位置する動物。古代の αἰγίς は、ゼウスとアテナの神聖な盾の名前として、現代ギリシャ語にも αιγίδα(保護、後援、← 文字どおり「アイギスの盾の下に」)として継承され、英語 aegis として国際語化している。
地名 Αιγαίο πέλαγος(エーゲ海)は、語源説が複数あり、(a)αἴξ「ヤギ」(複数形 αἶγες が「白波」のメタファーになった、または「ヤギの島」の意), (b)アテナイ王 Αἰγεύς(アイゲウス、テセウスの父、エーゲ海に身を投げた伝承)に由来とする説、(c)海神 Aἰγαίων(アイガイオン、海の老巨人)に由来する説などが論じられる。古代以来の地名の語源を巡る議論として、α- 系のヤギ・アイゲウス・海神の伝承が文化的に重なり合って、地名を形成した。
古代以来の αἴξ から派生した語族は、現代まで広範に継承される:αίγα(雌ヤギ、書きことば寄り), αίγαγρος(野生ヤギ、← αἴξ + ἄγριος「野生の」), αίγειος(ヤギの、書きことばの形容詞), αιγίδα(保護、後援、← 古代の盾の名), Αιγόκερως(やぎ座、山羊座、← αἴξ + κέρας「角」), Αιγαίο(エーゲ海), αιγοβάδιστος(やぎのように歩く、書きことば), αιγοτόμος(ヤギを屠る、書きことば), αιγοβόσκος(ヤギ飼い、書きことば)が並ぶ、神話・地理・天文の語彙の中核を成す。
派生・関連語族として αίγα(雌ヤギ、書きことば寄り), αιγίτσα(小さな雌ヤギ、書きことばの指小形), αίγα του Αιγαίου(エーゲ海のヤギ), αίγαγρος(野生ヤギ), χιμαίρα(キマイラ、← 古代 χίμαιρα「冬生まれの雌ヤギ」、神話の混合怪物)。
同じヤギ語彙の領域には、日常語の κατσίκα(ヤギ、雌ヤギ), 雄ヤギの τράγος, 子ヤギの κατσίκι, 老雌ヤギの γκιόσα, 野生ヤギの αίγαγρος, クレタの野生ヤギの κρι-κρι が並び、αίγα は文語・古風な響きを持つ書きことば寄りの語として、これらの日常語と棲み分ける。学名・天文・地理の用語では、αίγα 系が国際語の語源として頻出する:Capricornus(やぎ座、← ラ caper「ヤギ」+ cornu「角」), Capricorn(英 Capricorn), Aegean Sea(エーゲ海)など。